「死刑執行人もまた死す」 フリッツ・ラング 

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1943年の戦時中、アメリカに亡命したフリッツ・ラングのこの「名作」は、まともに反ナチスのプロパガンダ映画。
有名なラストのエンドマークが、チェコの遠景をバックに「(not)THE END」とあるのは、映画のセリフにある「自由は戦い勝ち取るものなのだ」というセリフを受けてのアジテーションである。
つまり、舞台となったチェコでは、まだナチスとの戦いは続いている、ということである。
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脚本はブレヒトと共同脚本。ブレヒトは、共産党シンパであり、この頃やはりアメリカに亡命している。
そのためこの映画は、第二次世界大戦終了後ブレヒトが手掛けた作品ということで、今度は曰くつきの作品として取り扱われるようになる。
プロパガンダでつくられた作品が、今度はレッドバージで迫害されるというのは、なんという皮肉なことだろう。
さらに皮肉なことはさらに続く。
映画は、恐怖政治が敷かれた占領下のチェコが舞台で、実際にあった実話をもとにする。
親衛隊のナンバー2であった実力者によるオーストリアの統治時代、イギリスから潜入したスパイがこれを暗殺。これの報復として、ナチスは市民を処刑しつづける。
映画は、これに対してオーストリアの市民が、ナチスの支配に死をも恐れずに機知と勇気で密かに抵抗していく物語となっている。
ナチスドイツに併合されたチェコにおけるナチスの高官の暗殺事件のその後をめぐるこの映画のストーリーは、史実をもとにしたもの(エンスラポイド作戦)でありながら、その結末は大きく違う。
実際は、暗殺に成功したものの、イギリスから潜入したスパイはカトリックの教会にかくまわれていたところを市民の密告にあい、そのまま暗殺犯は銃撃戦で死亡。
さらに、ユダヤ人問題もとりあげられていないのが、やや不自然な感じもする。これは戦中なので、そこまで事情が知られていなかったということなのだろうか。ただし、もちろんラングはユダヤ人であるから、ドイツから逃れてきた身である。
きっと、ラング自身はこの映画のように英雄的な正義感あふれる市民たちばかりではないということを察していたのではないかとも思う。ユダヤ人の迫害は、もちろん占領国の市民たちが積極的に協力しているからだ。
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よく出来たサスペンスで政治ドラマであるのは間違いないにしろ、この皮肉さはなんともいえない後味の悪さを、作品の外側にもたらしてしまう。
映画の出来の良さとは別にして、こういうことを考えると厳しい作品ではある。痛快アクションで済ますことが出来る映画ならば良い。「映画は終わっていない」と、現実への参画を作り手がアジる映画のラストの責任を取らねばならないのだから。
映画の後1945年、チェコはナチスから解放されることになるのだが、今度はナチスの代わりに共産党が支配者となるのも、また皮肉である。
このような後味の悪さを残すことになるにしても、映画としてはとてもよろしい。映画が映画として自律的に扱えるというならばだが。
シネマヴェーラ特集「ナチスと映画」にて。

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