曲の出だしのベースソロが印象的な曲で、この曲で抑え目に使われたBGMの中で使われていたベースソロは、きっとこの曲のイメージから来ていると思う。
ちなみに、映画の主人公役を演じる妻夫木聡の部屋には、”My back pages”が収録されている”Another side of Bob Dylan”が壁にかけられていて、その横にはチャールズ・ロイド・カルテットの “Dream Weaver”がかけられている。このアルバムには、ピアノでキース・ジャレットが参加している。
うーん、どうなんだろうなあ(笑)
この曲は、政治的なプロテストソングがあまりも有名になりすぎた頃のボブ・ディランが、それに違和感を感じていたという頃で、内省的な詩情を綴った曲が大半を占める作品。
歌詞もそういう歌詞だ。
少女の顔は
偽りの嫉妬から
古代の歴史が記銘された政治へと続く道に
まっすぐ向いている
亡骸の姿に堕ちることを
いかようにしても
福音伝道者は考えないかもしれないし
考えるかもしれない
それは皺深き日々だった
私は今の方がずっと若やいでいる
まるで、映画の中の新左翼のリーダー(松山ケンイチ)である。
※ちなみに、全訳詩は自分のブログに書いたことありますのでよかったら見てください。かなり難解な詩なので、そういう訳になってますが
この話、実話だということなんですね。
自分は川本三郎という人が、こういう事件に関わっていた人とは思いませんでした。
あの、若いのに隠遁したような趣味人の装いや映画小僧の風情は、なるほど、こういうことが背景になっているわけですね。
川本三郎といえば、村上春樹のデビュー時に相当いれあげてもちあげていた人でもあります。初期の村上春樹の例の、おしゃれで自由な生活の中で「やれやれ」とつぶやきながらも、結局は何かの悲しみのまわりをめぐりめぐっている小説は、確かにこの人のこういう過去とシンクロするところがあったわけですね。
よく小ぶりにまとまった映画でした。
無理をせず、小さくまとめていく感じですね。こういう映画に悪い点はつけられません。
もちろん、高評価もつけられないんですが・・・。
川島雄三の『洲崎パラダイス』、柳町光男の『十九歳の地図』、ボブ・ラフェルソンの『ファイブ・イージー・ピーセズ』、そして『真夜中のカウボーイ』。
映画の中に出てくる映画は、『洲崎パラダイス』をのぞいて、いわゆるアメリカン・ニューシネマとその潮流を汲んだ日本映画。
みんな、だらしない男が放浪する映画ですね。
(画面には出ないのですが、何か日活ニューアクション風な雰囲気の映画も出てましたね。あれは梶芽衣子の『野良猫ロック』シリーズと推測します)
同じ60年代後半~70年代前半の学生運動の雰囲気を描いた、くだんの村上春樹原作のトラン・アン・ユンの『ノルウェイの森』と比較すると、なんとも質素で淡々としてるんでしょう。
松山ケンイチはその作品ではナイーブな主人公をうまく演じていましたが、今回は卑怯な詐欺まがいの革命家にはなり切れてないのかな。
妻夫木聡の泣きの演技は、もう李相日の『悪人』で観ました。またか、と(笑)
そんなわけで、ごちそうさまでしたと、そそくさと箸をおいてお茶でも呑むことにします。
FWF評価:☆☆★★★
コメント
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「シナリオ」という雑誌があり、ご存じかと思いますが脚本家が脚本家の視線で作っている雑誌です。
映画の脚本という二次著作物の性格上なのか、どうも僻みっぽくて脚本家以外を排除したいようなそんな傾向の雑誌です。僕のところには送られてくるのですが…
さて、そんな雑誌の執筆陣も全共闘世代真っ盛りからちょいと上という感じ。
予想したのですが、やはり「マイ・バック・ページ」はボロクソに貶されていました。
そりゃあもう笑っちゃうくらい論理が破綻していて、つまり自分達が一時熱くなったものを茶化されたりしてるわけで、そりゃあ面白くないだろうとも思います。
ただ、批判に熱くなりすぎて「My Back Page」の由来やら画面に出てきたボブ・ディランのジャケットに気づかずに通り過ぎているあたりが幼稚。
小児的なその雑誌に比べ貴兄の批評が的確と思う所以です。
ところで、最近文体が少し変わりませんか?