-->黒澤明とハリウッド -「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて - Football is the weapon of the future フットボールは未来の兵器である | 清 義明

黒澤明とハリウッド -「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて

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日本の映画史に残るスキャンダルのひとつ、黒澤明が「総監督」予定であった映画「トラ・トラ・トラ!」の監督降板事件について、丹念にまとめたドキュメント。

これまで黒澤明に近かった白井佳夫氏がおずおずと「真相」を語ってきたわけで、黒澤流を知らなかった東映太秦で撮影したのが間違いだった・・・というような弁護めいた話が説得力をもって語られてきたわけだが、この本はスゴイ!

「黒澤天皇」と言われていたこの人、天皇というより専制君主的。強烈な芸術家気質で映画をつくってきた人ではあったのだが、トラトラトラの撮影始まってからの黒澤明は、そんなレベルではない。どちらかというとコントの世界に近い。

◇素人俳優起用

臨場感を出すためか、主要な俳優を知り合いの元海軍だった企業の重役やらの素人を起用。役になりきってもらうために、撮影入りするときスタッフは全員この素人の山元五十六や南雲中将を敬礼で迎えるように強要。

のちに控室から赤ジュータンまでひかせるようにエスカレートするが、実際に撮影がはじまると、あまりの演技の出来無さ(あたりまえ!)に、おまえそれでも海軍か!と怒鳴りつける。

◇照明器具落下事件

前日朝まで酒を飲んで撮影所入り。睡眠薬も服用し、ささないことでスタッフに激昂。そこへ頭上から照明が落ちてくる事件。たぶん、あまりの横暴に照明スタッフがやったに違いない・・・(想像)

◇ヘルメット事件

これが理由でスタッフ全員に撮影中ヘルメットをかぶるように要求。警備員もスタッフ一人ひとりにつけるように配給会社のフォックスに英文で打電。
フォックスでは、黒澤にこれ以来ヘルムートというあだ名をつける。

◇撮影所買いとり要求

京都東映撮影所には当時大人気だった任侠映画の撮影でヤクザや着流しの衣装をつけた人が多数いた。これが撮影の雰囲気を壊すとして、フォックスに撮影所の半分を買いとり、壁をつけて隔離するように要求。

◇総理大臣に警察官増員要求

京都の街に警察官の配備が少ないと総理大臣に電話。アメリカスタッフに京都の街は危ないから夜間外出しないようにアドバイス。

◇窓ガラス割り事件

フォックスがちゃんと警備員を増員しているかどうか確かめるために、夜中に撮影所にしのびこみ窓ガラスを割る。その後、なぜか助監督とともに警察に自首。

◇控室事件・ファンファーレ事件

主演の素人俳優が役に成りきってもらうために、楽屋を山元五十六の長官室と同じにすることを要求。さらに主演が楽屋から出てくるときには海軍式のファンファーレをならすようにする。もちろん、スタッフは全員敬礼しなければならない。

◇ペンキ塗り替え事件

セットの長官室の色の白が気に食わないとペンキで自分から色を塗り替える。それなのに、なぜか黒いペンキで塗り始めてスタッフ唖然。

◇壁壊し事件

カメラの位置が気に食わず、セットの壁をこわしてカメラを設置するが、それも気に食わずにすぐにもとの位置にもどして、大道具に即刻の修理を命令。

◇屏風事件

壁の修理ができないとわかると、そこに屏風をおくように指示。長官室にあるような立派なものをもってこいといわれたスタッフが京都をかけずり回りみつけてきた屏風に感嘆し、それを今すぐ天皇陛下に送ろうと言いだす。

不眠症で眠れないためか、連日朝まで酔っ払ってそのまま撮影所にあらわれては、皆をどなりつけ、カチコンの鳴らし方がわるいと助手をその場でクビにしたり、助監督全員集めてチーフ助監督にビンタを命じて、それが拒否されると助監督全員セットから締めだしてしまったり、もうこれはガンコ職人のわがままというレベルをはるかに超えている。

なお、撮影開始からフォックスにクビにされるまでの3週間で2度倒れて病院に担ぎ込まれている。診断は神経衰弱。

これが日本の映画ならともかく、アメリカ映画であったから、すぐにクビ。

フォックスは病気であるということで監督が交代になったとして保険会社に損害保険を申請するも、診断書や保険会社との契約書の不備で受け取れず。だが、これはもう確かに病んでいるわけで・・・。

ここまで踏み込むか!という内容であるけれど、何かはこの作者でも踏み込めないところもあった模様。アメリカ帰りの日本人プロデューサー(ほぼ素人)がどうやらこの混乱を増幅させたようなのだが、この人と黒澤プロの不透明なカネの流れはボンヤリと暗示させるまで。このへんは今さら追求してもしようがない部分ではありますが。

このトラトラトラのロケは1968年。当時、日本の映画界は斜陽もいいところ。黒澤ですら多くの映画監督がそうだったように日々の生活に困っていた。

優秀な日本映画を海外資本でつくるという試みは、黒澤がはじめたものだったが、すでに「暴走機関車」といいう海外資本のアメリカロケ・外国人俳優の作品を、一方的な黒澤の理由で撮影中止に追い込んだこともあり、それから1975年の『デルスウザーラ』まで、しばらくこの方法は鬼門となってしまう。

世界のクロサワ、やっぱすごいわー(笑)

その後に出あがった舛田利雄・深作欣二監督バージョンの「トラトラトラ」
これがまた面白くないんだわ~(笑)

コメント

  1. 奥さん より:

    初めまして昨日は夜中の12時まで 86歳のおじいいちゃんと楽しくカラオケを歌いながら昔話を聞き
    お酒を飲みました!
    それがそのお爺ちゃん何んと映画のトラトラトラト
    当時の撮影現場で通訳兼経理のお仕事をしてたというわけです!
    それで当時の古い写真を(撮影現場)
    次から次へと出してきて話に花が咲きました・・・。
    それに出演者の衣裳も何着も頂いたということでそれを試着し見せていただきました。
    その中の一枚は 芥川龍之介さんの三男坊の芥川也寸志氏が着用した(名前入り)モーニングは(上下)は
    とてもかっこよく感動しました・・・。ということでそのお爺ちゃん取材していただける方を探してます・・。
    長文失礼しました!