【仮説】 ネット右翼の起源 -憎悪のメカニズム-

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0.ネット右翼とは何か

「ネット右翼」とはなにか・・・ということが語られることがある。

この言葉が一般に流通されるようになったのは、ここ数年くらいのことだと思う。おおよそのイメージでいうとこんなところであろう。

「ネットで思想形成され、その主張を主にそこで行う、「嫌韓」「反中」を軸に歴史修正主義者(復古的ナショナリスト)として政治化した右派排外主義者」としておこう。

ポイントとなる要素に分解してみよう。

(1)ネットで思想形成されている。
(2)「嫌韓」「反中」を基本的に共有する。
(3)歴史修正主義者(復古的ナショナリスト)である。
(4)排外主義的主張をもつ

以下、このネット右翼の起源について考察する。いったん自分の仮説として整理するためである。

なお、この考察の「歴史修正主義者(復古ナショナリスト)」「ネット右翼」「排外主義者」のクラスター分類は前記事のとおりである。

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1.政治化した「嫌韓厨」

もともと「嫌韓厨」という言葉があった。匿名掲示板で日がな韓国のネガティプなニュースや批判をところかまわずコピー&ペーストする人たちのことである。強烈な差別意識を隠さず、出所不明の情報(デマ)を流布させるなど、現実社会ではほとんど許されないだろう言説を匿名でネット上に撒き散らす人たちである。

彼らにとって、おそらく政治とか思想というものはどうでもいいものであったのではないかと推測する。匿名掲示板の2ちゃんねるの初期(2000年頃)にはすでにこの手の世論は出来上がっていたが、それに先行して、戦後的オールドスタイルな差別のな文脈で部落問題が書き込まれていた。ここに初期の在日コリアン蔑視の流れも同時にあった。

これらの人達による差別的な書き込みがネットで流通するようになって眉をひそめる人もいたが、おおよそはネットの「言論の自由」の中で許容されてしまっていた。

当時ヤフー掲示板を楽しんでいたネット初心者だった自分は、ある頃からひどい韓国人蔑視の発言が徐々に現れてきたのをはっきりと記憶している。たいがいはアスキーアートを伴って書かれたもので、差別用語が普通に使われていることにびっくりするとともに衝撃を受けた記憶がある。当時、そのような書き込みが現われると、見知らぬハンドルネームから「2ちゃんねる」に帰れという罵倒が重ねられて、自分はこれらが2ちゃんねるを棲息地とするということを知る。

ただこの時点では逆にいえば現実社会に出てくるためのものではなかった。匿名であることで許される言論であり、その意味でおおよそはバカはほっておけばいいというような反応だったはずだ。彼らの心のブラックボックスに踏み込んでも致し方ない・・・そう割り切るしかなかったというのが当時の個人的な思いである。しかし、これがどこかで歴史修正主義と出会った。そして「嫌韓」という差別意識が、政治的な「排外主義」として理論武装されることになる。

これがおおよその『ネット右翼』の起源なのではないかと思う。基本的にはノン・ポリティクスで、心の闇にある差別意識を匿名を隠れ蓑に発散する人たちにコアがある。病的にまでも韓国にこだわり、そしてそこから在日コリアンに対しても同様の反応を示す。


2.歴史修正主義(復古ナショナリズム)の背景

歴史修正主義が単なる政治的な主張ではなく、文化的なレベルまで波紋を広げ始めたのは、間違いなく小林よしのりの一連の著作の影響が大きかったはずだ。画期的だったのは小林のマンガというメディアが、これまで政治的な主張に縁遠かったようなノン・ポリティクスの膨大なクラスターを形成したことである。ただし歴史修正主義者(復古ナショナリズム)は彼が生み出したものではないし、彼の単独でここまでの広がりを見せたのものではないが、『ネット右翼』の形成では、大きな要素となる。

1990年代に日本でナショナリズムに関する言説が変わっていったのは、むしろ世界的な傾向であった。

戦後、ナショナリズムは現代化によって消失していく方向であるという社会主義的な進歩史観が支配し、ファシズムの時代とともにナショナリズムの時代は終わったのではないか(終わらせるべきではないか)という議論が一般的だった。そこではナショナリズムは「啓蒙」の範疇で解消できるものと考えられていたのである。そうした考え方の中心には、交通や情報流通の発展により、世界のナショナリズムというのは小さくなっていくという唯物史観的な考えがあった。戦後にアフリカ諸国やアジアでの様々な国の独立による「第三世界」の形成もあったが、これらはナショナリズムであっても、これまでの西欧植民地主義体制からの脱却という側面で捉えられ、どちらかという一時的なものとみなされて危険視されることはなかった。

ところが80年代後半から90年代にかけて、欧州を中心にナショナリズムが復興したかのような事態が巻き起こった。理由はもちろんソビエト連邦の解体である。左翼的な理念の没落により、これまで「理性的」に解決しているとみえたものが一挙に噴出したわけである。日本の「歴史修正主義」の勃興もこの流れにあると位置づけてよいと思われる。

ただし、日本の歴史修正主義には差別的な『嫌韓』思想は当初ほとんど見られなかった。

小林よしのりが常日頃、ネット右翼の差別的言動を批判するのが代表だが、差別的な言動を表立ってなすような90年代の歴史修正主義者はほとんど見当たらないし、むしろこの時代の主要なイデオローグがこぞって現在の『ネット右翼』に距離をおいていることでもわかる。彼らが求めているものは、復古的な「国体」であり、その時代にあった実際の差別風潮はともかく、字義どおり戦前の皇国史観や国体理念を解釈すれば、民族融和の歴史のみしか表面的には現れないからである。


3.2002年とADSL常時接続時代

歴史修正主義的な言説は90年代当初に増殖してきたものだが、それが一般的な支持を受けたいたかといえばそうとはまだ言えなかったが、ネットではひとつの潮流になりつつあった。その言説は一般的なメディアには取り上げられにくい環境のながて、ネットに一挙になだれ込んだのは、小林よしのりが生み出したコミックで影響を受けた世代がネットの中心であったことが大きいのではないか。

行き場のない歴史修正主義的な主張と、それまでにネットに蔓延しつつあった差別的な嫌韓主張がここで出会う。

時代は爆発的な家庭にADSLで常時接続されたパソコンが普及した時代であり、しかも携帯端末はi modeによりネットに繋がってこれもインターネット普及率を画期的に引き上げることになる。当時の2ちゃんねるでは携帯からの書き込みがわかるようなidがつけられていたが、携帯からアクセスするユーザー圧倒的に増えだしたことを覚えている人も多いと思う。

そして、2002年の日韓ワールドカップと拉致問題発覚の2つの決定的な出来事が燃料となり、爆発的なサイバーカスケードとなったというわけである。このサイバーカスケードの中で、おそらく差別主義者のもともとあった在日コリアン憎悪が、韓国-北朝鮮バッシングとリンクする。そして、ここからは新しいクラスターが出来上がっている。

すなわち、もともとは政治的な意識もないし、排外主義に至るまでの外国人体験もない。ネットで感化され増殖した「ネット右翼」という存在である。ネットで政治知識や歴史認識を知り、そして出来上がった差別的なフレームをそのまま批判的に受け取らずに受け取った人たちである。


3.パンドラの箱としての「戦後」

そうしてネット右翼ははADSL常時接続時代が生み出した産物とも言えることになる。ただし、これはあくまでも爆発的な増殖した培養環境という意味であり、内在的にはオールドスタイルな差別憎悪と歴史修正主義が出会ったことが大きい。ここで全てが準備されていたわけである。

しかも、ポイントとなるのは、知識環境をネットに著しく依存しているため、はじめから嫌韓ありきで凝り固まってしまっているというところだ。そのため、大方が自民党支持者であるにもかかわらず、例えば日本の右派と自民党政権はずっと親韓だったというようなことすら知らない。軍事政権だった故に嫌韓だったのはむしろ日本の左派である。

理由は単純である。ネットには90年代より前の情報が検索されても出てこないからだ。たとえネットでも歴史的な経緯を辿ればわかろうもだろうが、それはクローズアップされない。検索されて出てくる情報はネガティブな部分だけ取り上げられた扇動的な話ばかりである。

例えば西村幸祐のような典型的にネット右翼クラスターに属する人が「2000年代になって韓国のナショナリズムは危険水位に達した」というような話になるのだが、この時代の各種の世論調査をみても、ナショナリズムが高まったというかどうかは別として、日本への印象度は歴史はじまって以来の好転している。つまり日本にとってすれば、むしろ危険水域どころか、もっとも良い方向に行っているわけなのだ。

むしろ問題なのは、ワールドカップで日本が敗戦するのを韓国の人たちが喜んでいるというようなニュースが次々と流れてくることだ。これを見て、西村のように「危険水域」と判断して敵対視している。

しかし韓国の「反日」は、もう戦後ずっと民衆レベルで続いていることだ。ただ、これには2つの視点があり、羨望と反撥の2つがパラレルになっていているものだ。

西村が錯誤したように、あたかもこれが最近の現象のようにみえるのは、ネットと民主化が大きい。インターネットでダイレクトに韓国の中にある「反日」の表現が伝わってくる。しかも民主化して言論は自由になっている。

これまでこのような「反日」の表現は日本にダイレクトに伝わることはなかった。理由は韓国が親日派の軍事政権が言論を統制していたことが理由だ。かつ開発独裁と言われた経済発展は日本では自民党政権が介添えしてきたものだから、政府レベルではこの時代はむしろ韓国と良好な関係が築かれていたのである。様々な議論は棚上げして、とりあえずは経済的に両国の関係をつくりあげるという方針は、韓国国内で大きな反発がおきた。民主化がなされるようになってから、これらの「反日」表現が普通にメディアに流れるようになり、さらにはネットでリアルタイムで伝わるようになる。グローバルな環境や情報の流通や「民主化」が、かえって文化的な差異に目覚めさせて、文化的・エスニックな対立を煽る場合もある。ソ連崩壊後に欧州でおきたナショナリズムのメカニズムと同様の事態が起きているわけだ。

こうして、両国間の課題が軍事政権で封印され、日本も自民党政権で封印されていた、戦後問題のパンドラの箱が開き、日本人は戦後がまだ終わっていないということを知るわけである。戦後から60年以上の歳月が流れているのにもかかわらず、朝鮮半島の植民地時代など知らない人たちがツケを払わされているのである。これにナイーブな人たちは韓国の反日が危険水域にうんぬんという表現をするわけであるが、残念ながらそれは間違いである。このときには、戦後史観を維持してきた左翼も没落している。誰もこの衝突を止める人はいない。煽り煽られて、韓国では朴槿恵政権となり、日本では安倍政権となる。皮肉にも、日韓基本条約の立役者の子どもたちがその対立をつくるのだが、きっとふたりともこの皮肉の裏にあるカラクリは承知のはずだ。


4.モンスター化した「ぷちナショナリズム」

しかし、これらだけでは国家間の対立だけの話であり、国内にいる在日コリアンにまでターゲットが向けられる説明にはならないような気がしてならない。戦前戦後とあった朝鮮人蔑視感が根底にあるとして、それがネット右翼の燎原の火となったのには、もう少し原因があるのではないか。

日本でヘイトスピーチの標的にされているのが、まず在日コリアンも含めた韓国・北朝鮮、次いで中国ですが、私にはそれは「冷戦体制の鬼子」にみえます。朝鮮戦争が終焉して以降の冷戦期は、一般の日本人にとって中国や朝鮮半島の情勢を「無視」しても暮らすことのできる例外的な時代だったんですね。それこそ江戸時代以来といってもよい。

ところが冷戦の終焉後、中国の台頭や韓国の経済発展を通じて、彼らの存在を自分たちの視野から抹消できなくなり、時には日本のほうが「負けた」と感じざるを得ない局面もでてきた。それが目障りだ、もう一度消えてくれ、という鬱憤を、まき散らしているようにみえます

インタビュー『日本人はなぜ存在するか』(我那覇潤)

文化ナショナリズムの社会学―現代日本のアイデンティティの行方韓国の経済発展と、かたや日本の没落 それが戦後史観の固定的な視点の変化を促していると見るのが一番しっくりするような気がしてならない。ワールドカップ日韓大会がネット右翼の勢力拡大に大きな貢献をしたのも、はじめて韓国の躍進を目の前で見せつけられたとのが大きいのではないか。

つまりこの時に「他者」としての韓国がはじめて大きな存在した。サッカーの日本代表は「テクニック」「規律」「戦術」といった用語とともに、いわば日本人論として取り扱われることが多い。広く共有される日本の目指すべき集団イメージが「文化ナショナリズム 」(吉野耕作)として立ち現れているところに、それを上回るものとして「審判を買収し」「スポーツの精神に反する」「汚いやり方」の韓国が、それを凌駕して現れた。これがナショナルアイデンティティをいたく刺激したというわけだ。

kayamarika香山リカは、2002年のワールドカップの狂騒を見て、『ぷちナショナリズム症候群』として、「ニッポン大好き!自分大好き!」という自己愛が過剰な世代の「愛国」現象に警告を発していた。大方はこれを「無害で漂白されたナショナリズム」と規定し杞憂と笑ったが、果たしてそうだったのか。ぷちナショナリズムはギズモのようにかわいいペットのモンスターだったが、そのうちの数匹がネットで深夜に水を呑み、私達が想像しなかったような憎悪のモンスターとなって増殖したのではないか。

 

 

 

 

「日本にとって、中国や韓国を無視するといったような選択はもうありえません。福沢諭吉の時代の『脱亜入欧』といった政策は、絶対にできない」

元駐日カナダ大使ジョセフ・キャロン

 

 

しかるに一方で、その「ネット右翼」の憎悪の対象となった韓国側の事情も見てなければ公平を欠くだろう。

こちらについては別稿にて取り扱う。

 

 

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