アフガンの仏像は破壊されたのではない / 「子供の情景」 ハナ・マフマルバフ 【映画】

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◇「子供の情景」公式サイト
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バーミヤンの仏像破壊は、急進化したイスラム教徒によってなされたもの。
イスラム教は、偶像崇拝を厳しく禁止しているため、これまでの歴史上多数の宗教的な肖像やシンボルを破壊してきた経緯がある。
本来、イスラム教徒は、他の信仰に関して寛大な態度をとり続けてきたのだが、歴史の中では時折、このような行き過ぎた暴挙に走るときがある。
ところが、この映画のタイトルは、”BUDDHA COLLAPSED OUT OF SHAME”
映画冒頭にも、ペルシャ語?とともに、この英語のテロップが出てくる。
「ブッダは恥ずかしさのあまり崩れ落ちたのだ」
タイトルの出所は、この映画の監督の父であるモフセン・マフマルバフ(この人も映画監督)の著書から来ている。
アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ
(現代企画室 2001/11 )
仏陀の石像は、今のアフガンの現状を憂いて、そしてその悲惨と滑稽さに恥ずかしくなりすぎて、自ら崩壊して姿を消したのだ・・・と。
アフガニスタンのタリバンの兵士のような急進主義者が台頭する背景には、ひとつには、そのような宗教的な理想主義に走らざるを得ない現実がある。「宗教は民衆のアヘンである」とカール・マルクスが語った言葉は、あまりにも誤解を受けすぎている。
マルクスが言いたかったことは、ようするに、現実的な問題(マルクスでは搾取と抑圧)が、人を宗教に走らせるのであって、その現実的な問題を解決しないかぎり、宗教に逃避することを人はやめないであろう、ということで、それは一概に宗教批判であるとはいえない。問題は、現実の人が生きるための経済的な問題なのだ。
なるほど、ならば映画を見てみよう。
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粗末な洞窟に住む親子、学校に行くこともできない児童、清潔とは決して言い難いバザールの実情、ノートを購いたいがために卵を売り歩く子供に対する町中の視線と態度・・・
タリバンごっこの子供たちは、今のイスラム急進派の実情をコミカルに近いものとして描くが、実際はそれも日常なのであろう。この子供たちをつくりだしている現実は、まずは、そのようなアフガンの現状にあるのではないか。
あくまでも子供の視点からの映画であるために、ちょっとした童話めいた話を映画に期待していた人は、だからすべてを裏切られる。これは、アフガンの現実を糾弾するための物語なのだから。
「死ねば自由になるんだよ!」
子供の戦争ごっこに場所を得ながら、ここで語られる現実は残酷である。
ラストシーン、そのような、恥辱にまみれた現実に、仏陀が恥ずかしさのあまり崩れ落ちる。
戦争の現実や暴力の発生を憂いる感想を抱くことをだけを、この映画が描写しているのではない。そこまでしか読み込めないと、このタイトルの意味はわからない。
その戦争や暴力の根元に何があるのか。
寝ているあいだにクルミが頭に落ちてきて、これがかぼちゃのように大きなものであったら死んでいた!と安堵する男の物語が、教科書には書いてある。
この映画は、すなわちクルミである。
しかし、アフガンの現実には、かぼちゃよりももっともっと重くて大きなものが降り続き、そしてそれは人をとてつもない不幸に至らしめる。
教育がひとつのテーマになっていることにも注意してみたい。
教育だけが、ここから脱出する術なのではないか、そのような思いで、主人公の女のコを追ったとしても、そこには悲痛な現実しか転がっていないように感じざるを得ないのであるが。
「子供の情景」とかわいい子供の笑顔の裏には、悲痛な現実が待っている。
救いは、この映画の中では、吹きすさぶ土埃のむこうにもみることができない。
感動やカタルシスや涙でしか、映画の体験を自分のものとすることができない類の人には、きっとわからない映画でしょう。
勉強になりました。
◇「子供の情景」ハナ・マフマルバフ 、インタビュー


FWF評価 ☆☆☆☆

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