谷崎潤一郎「蘆刈」と溝口健二の「お遊さま」 / 「お遊さま」 溝口健二

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◇お遊さま
谷崎潤一郎「蘆刈」が原作の溝口作品。
冴えわたる宮川一夫のカメラが鮮烈に印象を残す逸品。
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原作となる「蘆刈」は谷崎の古典傾斜の時代の中での傑出した作品のひとつに数えられているもの。
1932年の作。時代は昭和大恐慌から満州事変を経て、暗い脚音がせまりつつある時代である。
谷崎「蘆刈」は、大和物語や世阿弥の謡曲の同名の物語を下敷きにしているが、落ちぶれた男が女の姿を垣間見るというテーマ以外はさして物語には関係はない。
この女性を仰ぎ見る落ちぶれた男という関係性のみ谷崎が引き取り、夢幻模様の中で、不思議な男女の関係を、さらにその子から回想させるという非常に凝った小説である。
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映画は、ふとしたきっかけで出会った美しい女性への許されない思慕、そしてそれがその女性の妹を媒介としながら、のっぴきならない関係性へと落ち込んでいき、ついに零落を招いていく流れをきっちりと描きだしている。
原作との違いを参考までにいくつか。
映画「お遊さま」は、零落した果てにお遊さまの妹との子供を授かるも、すぐに母は死んでしまう。その子供はお遊さまの子供に引きとられてしまい、そのまま育てられることになる結末。
お遊さまを頂点として、そこから姉にかしづく妹-主人公の男-その子供という階層ができている原作の構造は引き継がれながら、蘆が生い茂る水無瀬に消えていく主人公がラストシーンとなるのが映画。
原作は、もっと複雑な物語構造となっているばかりか、魅惑するお遊さまとその残酷な禁断の主従関係を、かなりきわどく描写している。
映画ではつかわれていた、主人公の男の息を止めたりするシーン(谷崎のお得意のマゾヒズム表現です)はともかくとして、妹は冬の季節には足を暖めるために布団に入らされ姉の足を抱かされていたり、子供ができて乳が張っている姉の母乳を口をつけて飲んでいたりする。
そのような、耽美的で性愛的なエピソードを織り交ぜながら、物語を幻ともつかぬ男(妹と男の子供)に語らせて、丁寧に絵巻物のように綴りとるのが、この「蘆刈」の名作たるところ。
溝口作品「お遊さま」では、そのような重層的な物語構造を省きながら、圧倒的なカメラの美学で魅せていく映画となっている。
もともと、この物語は「お遊さま」の妹がポイントとなっていて、姉への崇拝を二代に渡る隷属関係に昇華させていくのは、この妹が鍵となっている。
崇拝の対象となる田中絹代のお遊さまが圧倒的な美しさを誇らねばならない一方、切なさや儚さを前に出しながらも、切羽詰った思慕を悪魔的に秘めている妹が重要になる。
乙羽信子は、これをしっかり演じている。
溝口健二は、すでに40を越えて華麗さも衰えつつあった田中絹代に、あなたをもっと美しく撮ると宣言したらしい。実際にそれだけの役柄なのであり、この映画の焦点はそこにあるといってもいいのだが、ちょっときついかな・・・現在の観客にとっては。
東京国立近代美術館フィルムセンター「生誕百年 映画女優 田中絹代」にて。

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