19世紀末にやっと統一国家となってきたため、遅れてきた帝国主義の国となったドイツがもくろんでいたのは、巨大な貿易利権が望めるアジアへの道。
海からの貿易ルートは大西洋から喜望峰があるが、これは時間もコストもかかる。
アジアへの貿易ルートを、アフリカを遠回りせずにたどり着く方法にはスエズ運河もあるだろうが、ここはイギリスががっちりと握っている。
アメリカ経由のルートもあるが、まだパナマ運河はこの時代に開通していないからさらに遠いことになる。
そこで、当時最新のテクノロジーと国家資本が必要な大事業となる鉄道ルートが考えられた。
ドイツは、太平洋への貿易ルートを完成させ、市場と原料を得るために、まずはオスマン=トルコと結び、ビザンティン(イスタンブール)までの鉄道を敷設し、そこからバクダッドまで1903年までにはベルリンから結ぶ、鉄道ルートの敷設に成功したのである。
バグダッドは、ドイツの古い夢なのである。
ドイツの古典的な植民地主義の原色の夢の向こうには、砂漠の中のバクダッドの鐘楼やモスクの幻影が聳えている。
ドイツ人がつくる「バグダッド・カフェ」という名前から想起されるのはそのような歴史的なエピソードである。
砂漠の中のそのカフェが、何故「バグダッド」なのか?
おおよそのドイツ人ならば、きっと以上のような歴史は自明の前提なのではないでしょうか。
この映画では、バグダッドにたどり着くのは、軍人でも資本家でも銀行家でも鉄道技師でもありません。
ババリア(バイエルン)の古びた帽子をかぶった奇妙なおばちゃんです。
砂漠に聳えるのモスクや鐘楼ではなくて、クリーム色にペンキで塗られた貯水タンクです。
そして、彼女ならではのエピソードを積み重ねながら、幸せな共同体をいつのまにかつくりあげてしまいます。
なんという幸福な映画なんでしょう。色彩もカットのひとつひとつはこれでもかというまでに奇を衒ってますが、なんだかそれはこの世界観のへんてこりんさを、強調しつつも美しくみせていくという不思議な効果を生み出しています。
気のきいたラブシーンもないし、そもそも出てくる人間はみんなグロテスク一歩手前の偏屈と変わり者ばかり。しかし、それがここまで幸せな光景をキッチュに陥る一歩手前で演じています。
1987年ですか、この映画は。もう20年も時が進んでいるわけですね。
懐かしい話です。そして、映画の面白みも変わらない。
前衛的なカメラワークやカラーフィルターの派手な使い方なんかは、あの頃はとんがって感じましたが、今はもう当たり前の手法になってますね。
もう一回観れて、本当によかったですよ。
なお、あまりにも昔に観た映画なので、「ニュー・ディレクターズ・カット」と言われても、違いは思い出せませんでしたよ。
ドイツ人のバグダッドの夢 / 『バグダッド・カフェ 』
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