漢江の光景と父権の喪失 / 「息もできない」 ヤン・イクチョン

「息もできない」公式サイト
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主人公のチンピラが、ここに来るのは久しぶりだ、とつぶやきながら、始めて心をかよわせてきた女子高生ヨニに自分の気持ちをさらけだすシーンは、漢江の川岸。
アップショットのヨニの表情の後ろに漢江の向こう岸の夜の灯がほんのりと耀いているこのシーンは映画のひとつの山場だ。
漢江といえば、ポン・ジュノ監督の「漢江の怪物」を思い出すが、やはり韓国人にとっての象徴的な意味は大きい場所なのではないか。
映画のストーリーは、父権の喪失をめぐる物語である。
韓国映画はいつも家族の問題に徹底的に喰らいついている。
抜き差しならない摩擦と愛情、時として暴力に満ちていて、それが切羽詰った迫真の物語展開に凄まじいテンションを与えていく。まさにそれに観客は「息もできない」体験を味わうことになる。
家族問題はダイナモとなり、重みと冷ややかさが画面にあれど、強力な磁場を作り出している。時に目もくらむばかりの火花を散らしながら。
この映画は実にストレートだ。
荒れ狂う父権として屹立していた主人公サンフンの父親は、夫婦喧嘩の末に自分の腹違いの妹を刺し母親の事故死の原因となる。刑期を終えて出所してくる今では、息子である主人公に忌まわしく憎しむべき存在に没落している。
一方女子高生ユニの父親は、ベトナム戦争の恩給で生きているものの精神に破綻をきたしている。母親はヤクザに自分の店を荒らされたところで娘の前で殴り殺される。ここでも父親は無力である。
ともに、父権が自分や家族を殺してしまうような経験に会い、しかしそこから離れることはできないアンヴィバレンツな愛憎関係にがんじがらめになっている。
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そして、主人公も女子高生も、それぞれそこで立ち居振舞う術を得ていて、タフに生きている。
荒れ狂う家庭が、荒れ狂う暴力と憎しみを再生産していく姿は、サンフンにまずあり、そして偶然にもサンフンの下につくことになる女子高生ユニの弟にも描かれている。
サンフンは、憎しみの再生産から逃げることができるクライマックスのシーンに描かれるその直後に、もうひとつの再生産からギリシア神話のように悲劇的に人生を閉じられることになるのだ。
ラストシーン、ヤクザの一員となったユニの弟が、サンフンの姿と重ねあわされるのは、父権の喪失と家族の愛憎に切り裂かれて転落する二人の意味が同じであるからだ。
韓国が1960年代に経済的に成功に向かい始めた躍進を「漢江の奇跡」という。
ヴェトナム戦争の出兵でさらに特需を得た韓国は、ここから古い朝鮮の因習と貧困から脱皮することになる。
主人公が、自分の父親に対する思いを女子高生に告白し、新しい人生への転機となる体験となるのがこの河のほとり。
もし、韓国の経済成長や人々の生活の改善といった話が、必ずしもハッピーエンドにならないというならば、監督が映画を撮るまでに抱え込んでいた問題とともに、映画の結末を悲劇に見出すことになるだろう。
社会的・経済的弱者であるにもかかわらず、徹底的に荒れ狂う存在として自分たちを追い込んだ父親達が、まだこの映画では現れてくる。そして、それはもうすでに過去の存在になりつつある。ただ、自分たちはそこから再生産された存在として、まだ悲劇的であり続ける。
しかし悲劇を終結させるためには、過去とも和解せねばならない。
製作・監督・脚本・編集・主演、すべてヤン・イクチョン。
彼はいう。
包み隠さずに心を開くことで、より清く健全になれることを『息もできない』を通して知った、と。
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バイオレンスシーンばかりが取り上げられることの映画だが、ユーモアや美しいショットにも恵まれていることも書いておかねばなるまい。
おそらく北野武の初期作品にかなりの影響を受けているのは間違いないだろう。
サンフンの借金の取立稼業の相棒のキャラのつくりは全く北野映画そのままだ。
新人監督に近い存在ながら、キャラクターは魅力的に物語の中で機能し、心のうちに直接入り込んでくるような親しみやすい舞台が効果的に配置され、それぞれが絶妙のバランスをつくりあげる。
奇をてらわず、そしてこれだけ悪徳のかぎりをつくしていながらも、結局は登場人物は皆すべていとおしい。なんという映画であろうか。
女子高生ユニと主人公との丁々発止のやりとりも、きっと韓国語を理解できたらもっと面白いのに違いない。字幕訳者は、罵倒や品の悪い言い回しに触れている人間ではなくその手のボギャブラリーが乏しいスクエアな人なのだろう。そこは残念。
タイトルは英語タイトル「Breathless」からとられているが、韓国語では「クソにたかるハエ」の意味だそうだ。

上映館も少ないのでとっとと観にいくスケジュールをつくってほしい。傑作である。
FWF評価:☆☆☆☆☆

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