以下は吉本隆明への追悼まじりの思い出と、『珈琲時光』がつなぐ戦前の台湾系日本語作家と横光利一のつながりについての雑文。
吉本隆明の「わが転向」の東京にまつわる書籍のエッセイに、横光利一が東京の風景で1番好きなのはお茶の水から神田駅のほうへ向かっていく中央線を、橋の上から眺めた光景、との記述がある。そして自分もそれが好きなのだと。
え、それってホウ・シャオシェンの「珈琲時光」のラストシーンじゃん!いきなり慄いた。自分も大好きな映画である。
それでこの横光利一の出典がかなり気になり、それを探し始めたのだけど、難易度が高そうだった。
さっそく仕事で打合せの間に、横浜中央図書館に行って、横光利一全集をチェックする。全14巻。とりあえず随筆の13~15巻をざっと調べるも見つからない。
翌週にまた行って、半日がかりで膨大な分量の随筆を読む。見つからない。
閉館まであと数十分のところで諦めかけて、横光利一関連の評論を読み始める。
すると、戦前の日本語台湾文学にこの人が間接的ながらかなりの影響を与えていたことはすぐにわかった。
特に巫永福という代表的に日本語クレオール(日本語で小説を書いていた)の台湾人作家は、この横光利一に師事していたという。この人の小説の解説を見てみると、「首と体」という作品が横光の影響を直接受けた小説とある。
さらに調べると、この小説、台湾人の男と日本人の女のコのお話らしい。
家が金持ちか何かで(私小説の体裁なので作家本人のこととみなしてもいいと思う)、実業に転ずるために台湾に帰ることになり、都内を二人でぶらぶらして、最後に神保町の喫茶店で珈琲を飲むという。
◇台湾人作家巫永福における日本新感覚派の受容― 横光利一「頭ならびに腹」と巫永福「首と体」の比較を中心に ―
図書館の閉館のチャイムが鳴る中、人の少なくなった図書館の書架の片隅で声をあげそうになった。
これって!そうですよ、まさしく「珈琲時光」!
こうしてホウ・シャオシェン-巫永福-横光利一のラインがわかってきたわけです。
たぶん、この本に「首と体」は掲載されています。高い!いつか読んでやる!
ちなみにホウ・シャオシェンの「珈琲時光」の次作は「百年恋歌」。
そして、「百年恋歌」の台湾語タイトルは「最好的時光」。三世代にわたる通時的な不思議でせつない恋愛物語。同じ時の光の名前を冠した「珈琲時光」も、まさかそういう輪廻の恋愛物語の仕掛けになっていたとは!ちなみに「時光」とはlumiereと英訳されている。
しかもこの電車ばかり出てくる「珈琲時光」と、小説にやたらと電車ばかり出てくる横光利一。
もうこれは間違いないな。ラストシーンは横光利一からきたものだ。
そういうわけで、吉本隆明に教えてもらった横光利一の原典をなんとか探したいと思うのだが、これは骨が折れそうだ。
それと、巫永福のその日本語小説「首と体」をなんとか読みたい。しかし残念、定価10,080円なり。これはなんとかどこかの図書館で見つけられるかも知れない。
以前勤めていた会社が、勝どきにあったため昼休みの時間には、ぶらぶと月島あたりに行くことがあった。
月島に住んでいたことがある四方田犬彦の著書「月島物語」を読みながら、ああこのへんに吉本隆明が住んでいるのだと検討をつけていた。
あの埴谷雄高との論争で有名?になった、コムデギャルソンを着てポーズをとるアンアンの表紙は自宅の玄関の写真だったから、これで探せばなんとかなるだろうとは思った。
ただし、このあたりは似たような面構えの家が多く、そこだけは難儀しそうではあるとは思ったが、まあ近所に聞けばわかるだろうと。
月島は「下町情緒あふれる」町ということになっているが、もともとは明治に出来た埋め立て地で、労働者のための団地のようなコンセプトの町である。きっちりと区画された街路と、裏通りに入ると似たような門構えの家が多いのはそのためである。
きっと吉本隆明ならば、誰とも知らない人間が訪れて、著書の疑問に教えを乞いにきたとしても追っ払いはしないだろうとも思っていたところ、しばらくしてからこの人の訃報を目にすることになる。
ここから先は自分で調べろということなんでしょうから、そうすることにしますが、ひとつだけ、あの「珈琲時光」のラスト・シーンだけは教えてあげたかったなと思う。
以上、吉本隆明と本映画についての極めて私的な思い出でした。
なお蛇足ながら、映画は完璧な映画。
コメント