現代の腫れた足の神話 / 『灼熱の魂』 ドゥニ・ヴィルヌーヴ

incendies-greek-poster-final.jpg
「灼熱の魂」公式サイト

正月一番の映画には、まずはシネマヴェーラで「映画史上の名作」にて幕開け。
いやまあこんなもんだよねー、とMGMの1950年代のミュージカル小品を適度に楽しみつつ、翌日に銀座に向かいました。
ハイ、完全に油断しておりましたよ。
正月気分でシャンテに行って、ドスンとレバー直撃の重いフックをくらったようなダメージです。
これは凄まじい映画です。ミステリー仕立てながらも、なんという掘り下げた人間に対する思想。器用にまとめられた映画にして、しかし語られている内容は徹底的に重苦しく、暗黒に包まれ、パンドラの箱を開けた禍々しさに耐えねばなりません。
しかし、最後にひとつ「希望」が残ります。
和解と赦しがそこにあり、憎しみの連鎖を断つための思想があるのです。
関東では日比谷シャンテだけですか。こんな傑作が単館とはなんともはや。しかし自分は幸運だった。みなさんにも新年からの幸福を分け与えたい。ぜひ観るべき作品です。
まずは、映画の前提知識から。
周到に匿名の中東の国の設定にされていますが、この映画はレバノン内戦(1975-1990)がモデルになっています。
detail_lebanon.gif
中東の国はほとんどそうなのですが、レバノンという「国家」もかなり出鱈目に出来上がった国家です。
第一次世界大戦でオスマン=トルコが敗れ、中東の国は戦勝国であるイギリスとフランスによる分割統治に近いかたちで国家として「独立」します。
もともとイスラム以外の宗教には極めて寛容だったオスマン=トルコ(現代のイスラム原理主義の過激派の不寛容な考え方はごくごく最近のことですし、一般的にイスラム教徒は他宗教に寛容です)は、様々な民族と宗教を容認していたため、このレバノン地域でも山岳地帯を中心に、キリスト教マロン派やイスラム教ドゥルーズ派などが混交して生活してました。
そうそうドゥルーズ派の映画なら同じレバノンの『ラミアの白い凧』や、シリアではありますが『シリアの花嫁』などで、独自の文化と困難な現状が描かれていましたね。
そういえば『キャラメル』は、そのレバノンの国際都市ベイルートのお話でした。あれはハッピーなお話でしたが、いまひとつ宗教や民族的な背景はわかりにくなかったのですが、女たちの宗教がバラバラなのは少しわかりました。今は多少マシになってきたということなんでしょうか。
本作も含めて特徴的なのは、すべて女性が主人公のところですね。圧倒的な男性社会のイスラムに対置するとなんとなく位置取りがわかってくるような気もしないでもないです。そもそも映画はイスラム圏の資本ではつくられませんし。これは蛇足ですね。
そして業火(映画のタイトル「インセンディーズ」)は国際社会の摩擦と、民族と宗教の偏狭さと不寛容さから発生します。
パレスチナ紛争でイスラエルに追い出された難民は、PLOとともに武器を手にしたままレバノンに亡命してきます。
この映画で、「南」と呼ばれているレバノンの南部はもともとイスラム教徒が多かったエリア。ただし、レバノンという国自体は全体の40%をしめると推測されるマロン派キリスト教徒が多数派です。
このマロン派キリスト教徒が、増加するパレスチナ難民に危機感を抱き、またイスラエルの政治的な扇動もあり、迫害に転じていきます。
映画の主人公(母親)は、このパレスチナ難民と恋に落ちて子供ができるわけですが、すでにマロン派とイスラム教徒とパレスチナ難民は疑心暗鬼のまま殺し合いをはじめていて、右派民兵のような組織ができかかってきた頃。あっけなく、父は殺され、子供が残されるわけです。
110524-incendies.jpg
ここにイスラエルと微妙な覇権争いをするシリアが介入してきたり、イスラエルがマロン派キリスト教徒の支援に入ったりで、レバノンの観光地であったベイルートは分断され、それから15年にわたり映画で描かれていたような殺戮と迫害と拷問が跋扈することになったわけです。
特にイスラエルと組んだマロン派キリスト教徒の民兵は幾度も大量虐殺を繰り返し、国際社会の非難を浴びるわけです。映画のバスの殺戮シーンのようなことは、本当にあったことなんでしょう。
憎悪と殺戮が繰り返され、どちらも引くに引けない状態から、今のレバノンは多少なりとも落ち着いている情況ですが、いつこのようなことが起こるかはわかりません。
(以下ネタバレあり)


---------------—このへんからネタバレ--------------------—-
Incendies-Movie-Poster.jpg
さて、この映画の最初のシーンで、レディオヘッドの音楽とともに、子供たちが丸刈りにされていくシーンがあります。眼光するどい男の子の足の踵には、三つの刺青が。
このシーンでギリシア神話に造詣がある人であれば、オイディプス王を思い出すかも知れません。
数奇な運命から、ギリシアの王であった両親に捨てられ、それゆえに両親と知らずに、父を殺し、そして母と交わり子供をつくって破滅した男の悲劇。これがオイディプスの神話です。
このオイディプスの名前は「腫れた足」という意味だそうです。自分の子供を捨てるときに王は踵にブローチで印をいれたために足が腫れあがってしまったのです。これ、映画で主人公の母親が子供を手放すシーンそのまんまですね。
この神話では、オイディプスは自らの眼をつぶし、母は自殺し、その子供たちはさらなる厄災を招くことになる呪われた存在になるわけです。
が、この映画の凄まじいところは、このオイディプス神話を引き取りながらも、完璧な「赦し」と「救済」の物語に仕立てあげているところでしょう。
母を凌辱した現代のオイディプスは、死にいたるほどの衝撃を母にあたえます。ですが、母が選択したのは、息子・娘にして弟・妹である存在に託した「赦し」のメッセージなのです。悲劇でしかない物語が、ミステリーの最後に一挙に昇華していく物語の迫力に茫然とするばかりです。
スクリーンいっぱいに広がる各章のタイトルは、すべて血の赤で塗りたくられた文字です。映画の転機には、中東の荒土の草木がたわわに揺れ、女の髪の毛は風に揺れます。そこにたくされた肯定的なメッセージが絶えず伝わってきます。
他者の憎しみと悲しみをすべて受け止めることで、この複雑で悲惨な状況に終止符をうつという一世一代のメッセージです。

これはやられました。もうお手上げです。新年早々の喝采の映画です。
ミステリーのスタイルをとることにより、後半の「赦し」の選択があっさりと事実として描かれすぎているところは、ちょっと不満にはなります。もっと時間かけてもよいのでは。それ以外は、もう文句ありません。
FWF評価:☆☆☆☆☆(満点)

関連記事

1コメント

 Add your comment
  1. 灼熱の魂

    Data原題INCENDIES原作ワジ・ムアワッド監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ出演ルブナ・アザバル
    メリッサ・デゾルモー=プーラン
    マキシム・ゴーデット公開2011年 12月

コメントをどうぞ

入力されたメールアドレスは公開されません。

Top