ようするに、国共内戦でがんばったのに、逃亡兵扱いされていて、戦死者扱いされてもらえなかったのが悔しかった・・・という話です。
日本でいうと、遺族年金支給されないし、靖国神社にも祀られない兵隊さんの話というところでしょうか。
ひたすら前半は戦闘シーン。
後半は、投降してきた兵士を許さなかったレベルの知性の荒くれ連隊長が、名誉回復していくストーリーです。
俺らはラッパが聞こえるまで、とがんばりましたが、全滅しました。部下は全員死にました。なのにこの扱いはなんだ!そういう話です。
ラッパが聞こえたということにして撤退しましょう、もう全滅間違いありません・・・と死にかけながらの注進する兵の言葉を無視して、共産党の指導員のへなちょこが戦闘の途中に急にめざめて、「ラッパは私も聞こえませんでした!」と断言してしまう。あーあーという感想は、最後まで捨て切れませんでした。帰ってきてからも同じ感想です。だって、国共内戦含めて、戦争の意味がまったく触れられないんだもん。
「親からもらった名前が皆あるのに、なぜ墓には名前がないんだ」とひとり問いかけるこの連隊長のシーンもありましたが、おまえだって名前を否定するような戦い方してきてんじゃん!と突っ込みたくなりました。これは反戦映画でもなんでもありません。人民解放軍の現在につながる物語を、ここだけは評価できる凄まじい戦争シーンにからめて、エンターテインメント化しただけの映画です。
残念ながら、心に響く話はありませんでした。国共内戦の背景も何もありませんでした。国共内戦の意味の重さを語っている映画ではありません。ここに期待するとまったくの肩透かしをくらいます。ホオ・シャオシェンは「悲情城市」で、もう20数年前に、このテーマの重さをテーマにしています。
中国映画が、単にテクニカルな技術論やエンテーテインメント的映像を量産することで新しいステージにたどり着いたとしても、この程度の国共内戦の話しかつくれないなら、まだまだ未来は遠いのではないかと。こんなふうにけなしたくなるのは、「風とともに去りぬ」とかのノリを期待していた自分の間違いかも知れませんが。
以上のダメダメな物語とは別にして、戦闘シーンのリアリティは凄い。
フォン・シャオガン監督が、「ブラザーフッド」の韓国の製作チームをつれてきてこの映画をつくったとインタビューで答えていたが、このスタッフのつくる凄まじい戦争シーンは文句のつけようがありません。
着弾の音が違う。ドス!ドス!と地面に突き刺さる音や爆裂した砲弾が吹き飛ばすひとつひとつのモノ。すべてにおいて強力。
FWF評価: ☆☆
戦闘シーンは完璧です・・が / 「戦場のレクイエム 」 フォン・シャオガン 【映画】
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