-->どチンピラ映画におけるフロイト的糞尿譚 / 「トレインスポッティング」 ダニー・ボイル - Football is the weapon of the future フットボールは未来の兵器である | 清 義明

どチンピラ映画におけるフロイト的糞尿譚 / 「トレインスポッティング」 ダニー・ボイル

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渋谷シネマライズの地下とライズエックスがライブハウスになってしまうそうで、6月で1スクリーンを残すだけとなるそうです。
そのためかはわかりませんが「シネマライズ、ときどき、名画座」と銘打って、いきなり名作特集を先月くらいからはじめてました。

ラインナップは、『コーヒーアンドシガレッツ』『8人の女たち』『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』『トレインスポッティング』『ブエノスアイレス』『アメリ』。
名作ばかりのうえ1本800円で、しかもこのシリーズの半券もっていくと500円まで割引!!
・・・というファン感謝的な企画で、おかげさまで懐かしい映画をあらためてスクリーンで何本か観ることができました。こういう企画は、他でもやってほしいものです。こういう企画で価格感のラインナップならばレンタルDVDなんか借りなくて済むわけです、われわれは。

さて、96年のダニー・ボイルの「トレイン・スポッティング」です。
流行りましたね、この映画は。
そして、今になって改めてみると時代性がふんだんに盛り込まれているのを確認します。
公園でダニー・ボイルが空気銃(?)で狙撃するのは、80年代オールドファッションなスキンヘッズ。このへんも時代が変わっているというところなんでしょうか。女子高生にそんなの知らないとバカにされるルー・リード達はともかくとして、トランスが効果的に使われていますが、六本木あたりだとイスラエル人がトランスを持ち込んでいましたので、夜のバーとかでは聴かれていましたが、まだまだ一般の日本人には耳なじむ前の話でしょう。
不動産屋に一時は職を得たユアン・マクレガーが、物件紹介するのはどれもこれも高級物件だったところからわかるとおり、この頃は、サッカーの金融ビッグバンからイギリスの景気が回復基調になりつつあり、このへんからイギリスの金融市場としての地位が再確立していく上り調子のイケイケドンドンだったのです。だからユアン・マグレガーも、ヘロインのジャンキーだったのが、スーツの仕事にちゃんとつくことができるわけです、映画の中では。
そんなところを確認しながら、小粋なカメラワークやなんだかわからないけどポジティブな能天気さに目くらまされていた、「ど」チンピラ映画としてのストーリーがあれから14年たってさらに自分の中ではクローズアップされていることにやや感慨をおぼえました。なるほどそういう映画だよね、コレ。
さてさて、ダニー・ボイルといえば、最近作「スラムドッグ$ミリオネア」がとても快い出来だったわけで、YES WE CAN!の前向き志向の一昨年のアメリカの雰囲気にフィットしてアカデミー賞をとったりしてました。
今アメリカの暗い問題であった弱者保護に手をつけたゆえに「社会主義者」呼ばわりされるオバマの姿と、反動で吹き荒れる白人保守層の不穏な動きを見るにつけ、はたして2009年に「スラムドッグ」がリリースされたら、ああいう大層な賞をもらえたのか、あらためて疑問には思うわけですが。
さてさて、その「スラムドッグ」でも糞尿まるかぶりなシーンが出てきたわけで、「トレインスポッティング」を観ていたファンなら、またコエダメか・・・と、ある意味懐かしいトホホ感に襲われたのではないでしょうか。
それほど、「トレインスポッティング」の糞尿シーンはトホホな印象を残しているわけです。

日本映画だと、喜劇の名監督・川島雄三という人の作品にやたらとトイレやら便意やら排泄にまつわるシーンが多いのが印象に残りますが、さすがにここまで露骨ではない(笑)

フロイトによれば、糞尿のしつけ、つまり幼児が親によって排泄をコントロールすることを教えられたり、時としてそれが理由で罰せられたりする経験は、人格形成に重大な影響を与えるとのこと。有名な「肛門期」の理論ですね。
排泄って本来は生理的な活動として快感なわけで、しかもそれは別に恥ずべき行為でもなんでもないはずなのに、なんだかやたらにタブーやら羞恥心につつまれている。
それによって倫理とか社会規範とかを学んでいる一方、排泄を適切な場所以外には、だしおしみする無意識の行動が、自分の持ち物に対する執着や他者に対しての閉鎖的なふるまいを性格つけたりするわけです。
子供に限らず、コドモマインドを強調するには、だから糞尿はひとつの象徴です。
また、そういうものに対してあけっぴろげな態度を示すということは、その人のもっている人間に対する態度が開放的であり、逆にいえば倫理的・社会的な規範に意識の底ではしぱられていないということを示すのです。
そんなわけで、映画でもマンガでも、糞尿はやたらと友愛とかあけっぴろげな幼児性を象徴する記号になります。そうですね、確かにこのスコットランドのどチンピラの幼児性は、この映画のテーマではあるわけです。

しかしまあ、こんな映画、女のコとか連れてよく観に行ってたよね、オレ(笑)
そんなわけで渋谷のど真ん中で名画座企画をありかとうございました!のシネマライズにて再観賞。

コメント

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