-->「モハメド・アリ かけがいのない日々」のB面 / 「ソウル・パワー」 - Football is the weapon of the future フットボールは未来の兵器である | 清 義明

「モハメド・アリ かけがいのない日々」のB面 / 「ソウル・パワー」

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◇「ソウル・パワー」公式サイト
名作「モハメド・アリ かけがえのない日々」のアナザーサイド的な音楽ドキュメンタリーフィルム。
したがって、単にジェイムス・ブラウンやJB’s、個人的には一番ツボだったクルセーダースなど、ミュージシャンの演奏シーンを目当てに行くと、ちょっと肩すかし感があるかも知れないです。
まずはレンタルDVDで、「モハメド・アリ かけがえのない日々」を観てからの観賞をお勧めします。
そんなわけで、この映画はブラックパワー・ムーブメントを取り扱った政治的な映画でもある。
1964年の公民権法制定がひとつのピークとなりながらも、1965年のマルコムX暗殺や1968年のキング牧師の暗殺などによる暴力的な様相を示してきたこのアメリカにおける人種問題は、すでにこの映画がとられて1974年にはおさまりつつありました。
カシアス・クレイという歴史に残る天才的なアウトボクサーが、「モハメド・アリ」とイスラム風の名前になったのも極めて政治的な理由が背景。
ネーション・オブ・イスラム教団のように、アフリカから奴隷として連れてこられた黒人の自分達の名前は、白人風につけられた強制された名前であるとして、自分達でイスラム風の名前をつけるようになっていたのである。
また、このモハメド・アリが何故このザイールなどで試合をやっているところも裏がある。
アリは1960年代後半のそのキャリアの絶頂期、ベトナム戦争での徴兵を拒否したのである。「オレはベトコンには恨みはない。ベトコンはオレのことをニガー(奴隷)と呼ばない」と、この時に語ったのは有名である。モハメド・アリはこの時に単なるボクサーではなく、ブラック・パワーと反体制のアイコンとなったのだ。そして、この徴兵拒否によりアリは世界ヘビー級チャンピオンの王座をはく奪され、そしてそれから数年の間リングに立つ資格がなくなってしまったのである。
この試合がここで行われた理由のひとつは、それから1974年になっても、世界ヘビー級王座決定戦をアリがアメリカ国内で戦うことにはまだ異論が多かったこと。
そして、稀代のいわくつき興行師ドン・キングと、コンゴを一存で「ザイール」という国名を変えた独裁者モブツ大統領との思惑が絡みあいながら、「黒人の故郷で黒人が行う歴史的イベント」という、ブラック・ナショナリズムをエンターテインメント化した場所で戦うこととなるのです。
ちなみに、「モハメド・アリ かけがいのない日々」ではほとんどボクシングシーンが出てきません。
アリが世界一のハードパンチャーといわれたジョージ・フォアマンを打たせるだけ打たせて結局は勝つという「キンシャサの奇跡」はこの動画にて。

そして、その「前座」的なイベントとなるのがこのコンサート。
そんなわけで、もうこのコンサート自体がいわくつきの政治的思惑がむき出しになったものなのは致し方ないし、そういう風に観るしかない映画のつくりになっている。
映画「ウッドストック」のような音楽メインのドキュメンタリーを期待するとやや間違う恐れもありうる。
とはいえ、自分は「前座」と書いたけれど、まあそれにしても豪華な出演者陣ではある。
ジェイムス・ブラウンはひたすら圧倒的だし、ジョー・サンプルがノリノリでラリー・カールトンが初々しいクルセーダースは必見。なぜかバックステージのはかわいい女のコぶりを発揮している姿しか映画では映してくれないシスター・スレッジはちょっと残念。
そんなわけで、貴重な映像として評価できるものではありますが、ではコンサートフィルムとしてどうなのかというと、もともとのこのドキュメンタリー映画も一部となっている「キンシャサの奇跡」の結末となる、うさんくさい興行師と血なまぐさい独裁政権と怪しいリビアの投資家がくんずほぐれずしたはずのプロジェクトですから、まあここまで公開されなかったというのも、なんとなくわかるようなものではあります。
まあ日曜日の夜に観るとちょうどよいかな、という映画ですかね。

FWF評価:☆☆★★★

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