犠牲祭(イード・アル=アドハー)をストーリー上の軸として、ドイツとトルコを横断する親子の物語。
放蕩の果てに娼婦を殺してしまう親を持つトルコ移民の子供。
母をドイツに出稼ぎに出したまま、テロリストになってしまった子供。
(たぶんアルメニア人などのトルコのキリスト教徒なのかな?)
テロリストに愛情を感じた故に事件に巻き込まれた子供を持つドイツ人の親。
犠牲祭とは、親と子の物語。
子供を差し出して、神への帰心を証明するものは祝福されるというコーランのエピソードに真っ向からはむき、それを超えてしまう愛をめぐって偶然にも邂逅した3組の親子を追う。
同性愛、ドイツにおけるイスラム原理主義者、トルコの思想弾圧とEU加盟問題、など、際どいネタを扱いつつ、最期にはそれぞれが親子の絆を確認していく・・・イスラム教徒が多数のトルコ人の視点からは、こういう映画は出てこないだろう。まさに、ドイツ-トルコを横断的したすえでないと出てこない結論。もちろん、それはすなわちドイツからの視点。
以上について、ドイツのトルコ移民の現状や、トルコの政治的な状況、多少のイスラム教に関する知識を仕入れていくと、この映画のたんたんとした佇まいと取り扱ったテーマのギャップの面白さに気づくはずです。
ただ、そこまで考えながら見ると、今度は少しキリスト教的な視点で構築された物語に気になるわけですが。
ちょっと手の込んだ親子愛情劇ではない深さがある、それを楽しむ映画です。
↓エンドロールにかかるラストシーンも忘れがたい印象です。
FWF評価: ☆☆☆☆
ドイツとトルコ、キリスト教とイスラム教の横断 / 「そして、私たちは愛に帰る」 ファティ・アキン 【映画】
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