「吶喊」 岡本喜八 はオモシレー幕末時代劇

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岡本喜八1975年の作品。
ATGでの2回目となる監督作品。前作は、1968年の名作『肉弾』
60年代の政治の季節から立ちあがった輸入芸術映画専門の配給会社は、徐々に作品製作を手掛けていき、少ない予算で良質な作品を次々とリリースしていったが、興行的には苦戦。
1978年にはテレビプロデューサーを社長にむかえて、方向転換を図ることになるが、本作品のあたりでは、かなり厳しかった模様。
本作品のプロデューサーは主役のひとりでもある岡田裕介。この人は東映の岡田茂の御曹司。強引なやり口で知られた岡田茂が押し込んだ親バカ丸出しの事情で出てきたというだけ・・・というわけでもなさそうな、面白い味のある演技をする人ではある。
当時の東映は、岡田茂のマーケティング路線でエログロそしてバイオレンスの路線をひた走りに走っており、予算も少なめにうまくヒットする映画をひたすら量産していた時代。
映画なんて不良がつくっていたものだ、そんな開き直りで興行としての映画を極めていった見世物屋の手腕をそれなり自分は楽しむ。
この映画では、時代の陰惨さを痛快にくぐりぬけていくスリルを時に打ち出す岡本喜八の映画スタイルと、岡田茂の薫陶をうけた低予算&エロ路線を、それなりにうまくまとめている。
映画の舞台は戊辰戦争。
童貞をすてるために道を行く女を襲うような百姓の息子(伊藤敏孝)が、人が殺される「戦争」というものが始まることを聞きつけ、「オモシレー」という価値観だけで、この時代ならではのハチャメチャな顛末とともに戦争のど真ん中に巻き込まれていく。
一方、奇妙な情報屋稼業をしている男(岡田裕介)はといえば、正義もなく、幕府-新政府のあいだを渡り歩いていき、新政府の使者の情夫だった女(伊佐山ひろ子)は、まるでルパンの峰不二子のようにカネにからみつく。
性欲とオモシレーことにしか興味がないのに、まっとうな「朝敵」になっていく百姓が軸となりながら、3人の絡み合いがすこぶる面白い。
ざっくりとタイトル字幕や物語の最初と最後に出てくる語り部の婆さんに、坂本九もいい味を出している。
60年代の政治の季節を経た作者の幕末物語は、本当に特徴的である。
かっこよくもないし楽しくもない。だが、何かいいようもない情熱だけが渦巻いている。
派手な戦争もなく、切ったり切られたり、すこぶる「リアル」である。
そういう「リアル」な幕末時代劇の一作と評価いたします。
それから、岡本作品に何作か出てきた、千波恵美子という女優さんがとてもよかったです。
この人はこの後、映画からほとんど消えてしまったんですが、もったいないですね。
渋谷シネマヴェーラ特集「ATGの光芒」にて

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