音楽とカラーについての関係についてまとまらないまま / 「カルメン故郷に帰る」 木下惠介

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1951年作品。
日本最初の劇場用フル・カラー映画として知られるが、実際は1937年の「千人針」が最初。
正確には、富士フィルムとともに国産フィルムでの初のフル・カラー映画とした方が正しい。
1920年代後半(!)にアメリカでは、多数のカラーでのミュージカル映画としてリリースされた。アメリカ映画では、「風とともに去りぬ」(1939年)がフル・カラー映画として名高いが、その後もミュージカル映画といえばカラーという時代がしばらく続いていたらしい。
この作品もまた日本最初の総天然色映画として、歌モノ映画である。
カルメンという踊り子が、かなり現実離れした軽井沢の高原の村で巻き起こすひと騒動のお話。
健康的な裸体が、当時のカラーフィルムだから仕方のないだろう、どぎつい青色の空に躍動する姿は、時代を超えて楽しく感じる。「健康的なお色気」・・・と昔のサラリーマン向けの週刊誌ならコピーを打っただろう。
なお、当時のカラーフィルムは、感度が低く、晴天の日にしか撮影は出来ず、そうでなければ強い照明を当て続けなければならなかったとのこと。この映画では、そういった事情が、青空に白い肌という不思議なマッチになっている。
ただし、肌の白はさらさらと粉っぽい感じが出て、やややりすぎか。
大筋のテーマは、芸術と芸能(ポップ)といったところ。
生真面目で内省に閉じこもる芸術が、結局は天真爛漫な「裸踊り」にかなわない。
トリックスターのようになって帰ってきた娘の無垢で純真な心は、芸能と結びついてポップなパワーで人々に波風を起こす。
それは意外にも悪いことではないのではないか。もちろん、村の社会的な秩序は、学校でオルガンを弾き生徒に「芸術」を教えることに立脚しているから、ポップはあくまでも消費されてしまうものでしかないのだが。
無邪気に踊るカルメンと友達のダンスの背景は山の稜線を利用して、画面の大半は晴天の青空。そこに白い肌に黄色や赤の艶やかな服を着た二人が映えている。
村上龍がこんなことを書いていたのを思い出す。
「一つ、学んだ。暗く反省しても誰もついてこない。だから、楽しんでいる奴が勝ちなのだ。」至言でしょう。
さて、この映画の歌モノ映画的な要素で思ったのは、戦前のアメリカ映画がミュージカル=カラーという状態になったのをはじめとして、カラー画像という視覚を刺激する効果と音楽劇というのは何か親近性があるのではないかということ。
数々のミュージカルの傑作が、モノトーンの映画の時代に多数出てきたり、カラーテレビになったら、サイケデリックなカラーにロックが最初に合体したりとか。
ちょっとうまくまとまらないんですが。
白樺や草原、そういった戦争間もない日本としたらとてつもなく現実離れした光景で、肉感的な高峰秀子があっけらからんと歌って踊る姿は、カラーの映像の中で、当時はかなりの夢を感じさせたのではないでしょう、と思います。
小津安二郎はこの映画の試写が終わったあとの夜、「良い写真観たあとは酒が美味いよ」と笑っていたらしい。そういう気分になる映画である。


神保町シアターの高峰秀子特集にて。

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