「砂の上の植物群」 中平康 / 中平康のひとつの典型

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砂の上の植物群(1964) – goo 映画

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吉行淳之介原作の同名小説の映画化。
化粧品のセールスマンがひょんなことから出会った女子高生との一夜から始まる物語。
純潔を女子高生に求める、腹違い姉への「復讐」を代行することになったセールスマンだが、そのうちそれが、死んだサラリーマンの実父をめぐる奇妙な復讐に重ねあわされていくという筋立ては、原作に忠実。
原作は1963年に連載、翌1964年に単行本として出版され反響を呼び、そして同年に中平康により映画化された。
被虐嗜好を持つ姉や女子高生との情事など、性を大胆にモチーフとして取り扱うため、映倫とのいざこざに悩まされたことを、中平監督はエッセイに書き残している。高校生の姉役の稲野和子の迫真の表情があまりにうま過ぎていたからいけなかった、とも冗談めかして語るのだが、確かに稲野和子すばらしく、女子高生役の西尾三枝子のみずみずしさなどとあわせて、さすがは中平康と思わせる。
舞台はヨコハマ。
前年に撮られた『泥だらけの純情』もヨコハマ。(吉永小百合の住んでいるのが山手の設定)
同年の『月曜日のユカ』もヨコハマが舞台。
山下公園に物語が始まり、マリンタワーでの出会いから、シルクホテルのレストランまで、港横浜のおしゃれスポットが多数出てくる。
なお、シルクホテルのレストランは、同年の篠田正浩監督の『乾いた花』でも重要なシーンで出てくる。
ついでにいえば、この篠田『乾いた花』は、石原慎太郎原作でヨコハマが舞台で、『月曜日のユカ』と同じく加賀まり子が主人公。圧倒的に『乾いた花』が煌きをみせている。
石原慎太郎原作で実質デビュー(実際には公開の順番で2作目になるそうだが)した、中平康としては、わずか遅れてきた後進の才能をどのように思っただろうか?
さて、中平監督作品でこの『砂の上の植物群』を推す人もいますが、自分にとってはその評価はやや複雑なもので、『狂った果実』にしろ『月曜日のユカ』にしろ、圧倒的な映像の面白さとは別に、観念的に物語を残酷にしめくくる結末にどうにもこうにも苦手である。
「思想がない」と揶揄されることもあったという中平康だが、プログラム・ピクチャーとカテゴライズされるような、スピード感あるポップな映画であり、コメディやライトなヒューマンドラマに力量がもっとも発揮されるのであって、最近の再評価はそこに集中している。
そういう意味で、今から中平康を観ようという人には自信をもって本作品を自分は推せない。
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もちろん映画はそれはそれで美しく、中平康の才がきらめくようなシーンも多い。
パートカラーでパウル・クレーの抽象画(「砂の上の植物群」という原作のタイトルはクレーの絵画のタイトルから名づけられている)などを効果的にさしはさむシーン、露骨ならざるまでも卑猥をみせつける女優の表情の撮りかた、風景と心理描写を効果的にカットのつなぎでスリリングにみせる繊細な表現、群集や満員電車や満席のレストランを突如モノローグの舞台にしてしまうシーンの巧みさ等々。
ポスターにしてしまいたくなるようなカットの連続もこの人ならではである。
東京国立近代美術館フィルムセンター「映画の中の日本文学」特集にて。

コメント

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    初めてコメントします。
    昨日、川崎市民ミュージアムで50年ぶりくらいに見ました。
    高校生の時に、蒲田パレス座で見たのです。多分、『月曜日のユカ』と併映だったと思う。
    『砂の上の植物群』は、今見るとサド・マゾ、近親相姦、痴漢などいわゆる性的映画のエピソードのオンパレードで、当時は大変衝撃的だったと思う。
    ただ、中平は、そのように見られるのは大変不満だったようです。
    彼には純文学志向が強く、その辺が後の不振になったと思う。
    遺作の『変奏曲』など最低でしたから。
    今考えると、結局中平康は、『紅の翼』や『あいつと私』、『泥だらけの純情』のような娯楽作品が良かったとなるのではないだろうか。
    因みに『泥だらけの純情』の吉永小百合、浜田光夫、小池朝雄の関係は、舛田利雄監督の『上を向いて歩こう』が原型だと思います。
    名作は、先行作品の積み重ねの上にできるという見本だと思います。

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