暴露されたものとされなかったもの /「ANPO」 リンダ・ホーグランド

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◇「ANPO」公式サイト
2007年に「TOKKO-特攻-」をプロデュースした、在日アメリカ人のリンダ・ホーグランドの初監督作品。
日本とアメリカとの関係を”ANPO” (日米安全保障条約)に、違和感を表明するアーチスト達の視点をドキュメンタリーとしてまとめた作品。
アメリカ人が西部開拓のフロンティアの次に夢見たのは太平洋であり、それはペリー来航から始まっていた。そして、太平洋の覇権を握る帝国主義的な道程の完成形として、日米安保がある。その双務的なものを思わせる名称とは違い、日米安保の正体は、対等な「同盟」のようなものではない。日本はアメリカに占領され続けている。
アーチスト達は、その事実を作品を通じて暴露しているのである。何人ものアーチストにより、訥々とインタビューと作品がならべられていき、そして占領される日本というスキャンダルがあぶりだされていく。
日米安全保障条約は、極めて現代的なテーマであり続けている。
この問題を、”ANPO”として英語表記で綴ることは、外部からの視点に晒して考えてみるということかと思う。
靖国問題が、”YASUKUNI”として外部の冷徹な視点で描かれ、そして新鮮ともいえるくらいに極めて宗教的で神秘的な側面をスクリーンにむけて照射していたことを思い出させる。
しかし、靖国問題以上に「日米安保」というテーマは語り尽くされてしまっている。それが、アーチストや在日米国人というマイノリティ的な立場から語られるのだとしても、ほぼ同じ視点となろう。
日米安保を成立させた自民党はアメリカとグルであった、岸信介はCIAから資金提供を受けていた・・・次々と暴露される事実があったとしよう。
しかしそれ以上当たり前の事実は、戦争が嫌だということは日本人の共通認識だったとしても、そのために日米安保を否定するか、それとも受け入れるか、そこは2つに分かれていて、そして結果的にアメリカの占領状態を受け入れるほうが得策であると判断したものが多数を占めていたということである。
対米自立の右派であった岸信介本人が、対米従属に変節するポイントも、きっとそこにあるだろうし、日本の多くの右派が、本来の反米のベクトルではなく親米にコミットしている秘密もそこにある。
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「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には“声なき声”が聞こえる」
60年安保反対運動の苦き挫折と裏腹に、この岸信介の言葉は完全に的をとらえている。果たして、日米安保反対運動の矛先はアメリカでよかったのか?岸信介と自民党でよかったのか?この映画は、残念ながらその疑問に届いていない。「声なき声」の正体こそが、日米安保の秘密を握っている。
ともあれ、日米安保を巡る問題をとらえる座標のひとつとして、この映画はうまくまとまってはいる。そこは評価したいと思う。
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さて、この映画の上映館、横浜黄金町ジャック&ベティでは、監督リンダ・ホーグランドとヨコスカのドブ板通り(米軍兵士を相手とする歓楽街)の写真を撮り続けた女性写真家とのトークセッションが上映とあわせて行われた。
このセッションの中で、「子供の頃にドブ板だけは女性は行ってはいけない」と教え込まれたと女性写真家は語っていたが、米軍による占領という現実が果たして陰惨なものだっただけなのかどうかという疑問は、この映画のテーマにはそぐわないものなのかも知れない。
ジャック&ベティのあるエリアは、戦後米軍に真っ先に接収され、飛行場とカマボコ兵舎が立ち並んだところである。横浜はもともと米軍に2回接収された町である。一度は幕末の砲艦外交で、二度目は太平洋戦争の帰結として。2回の敗戦そのものが、この街をつくりあげたのである。
横須賀に生まれて、ドブ板通りで小学生のころから遊び、今では横浜の真ん中に家を構える自分は、ただ単純に日米安保が蹂躙された日本人の悲哀の中でだけ観る視点は持ち合わせない。この映画は、何かが欠けていて抽象的なのだ。
だがこの不満は、この監督に押し付けるべきものではない。本当にビビットな問題は、日米安保が何か抽象的なものとして語られ続けている過去から現在までの無反省にあるのだ。暴露しなければならない本性はまだ残されている。

FWF評価:☆☆☆★★

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