コンビニや中華料理屋に走る闇の列車、光の旅 / 「闇の列車、光の旅」 ケイリー・ジョージ・フクナガ

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「闇の列車、光の旅」公式サイト
アメリカの不法移民、その数は数千万人以上。
治安の悪化や直接税を負担しない人口の増大に、当然、強硬な不法移民移民排斥の声は高まろう。
だが、それでもまだメキシコを横断してわたってくる、この映画の主人公のようなヒスパニッシュは後を絶たない。
その理由は何かといえば、根本的には中南米のラテンアメリカ諸国の貧しさが背景にあるのだが、もうひとつは、その存在が経済的には必要な存在となっていることがある。
すでに、農業や建築業では、低賃金労働者となって働く不法移民の存在はアメリカの経済にはなくてはならない存在となっている。だから、不法移民の取り締まりが強化されることになると、これらの第一次産業や第二次産業からの反発が出てくるわけだ。
また、すでに不法/合法関わらず、ヒスパニック民族の存在はアメリカで大きなものとなっており、このまま数十年たてばホワイトアングロサクソンの比率を逆転するとも言われている。不法移民取り締まりの法案が出てくると、これらの人たちが反対にまわるわけである。
グローバリズムの世界では、資本と人とモノと情報の流れを国境は止めることが出来ない。経済原理は、労働力すらも安いものを当然求めていく。
そして、メキシコとアメリカの国境のように砂漠や川を横断しただけで、全く違う繁栄と経済的な成功があるような状況、それ自体が実は残酷なことなのだ。
この映画に出てくるメキシコやホンジュラスの貧困や社会的な退廃の現在だけが問題なのではない。そこを横切る国境こそが残酷なのだ。
本作によせられたコメントとして「こんな現実が21世紀にあるし、こんな世界がある」と、映画のチラシにある。
しかし、それは他人ごとでは全くない。
去年「泣きながら生きて」という不法滞在の中国人とその家族のドキュメンタリーを観た。
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例えるならば、これは本作「闇の列車、光の旅」の物語のその後の物語を日本に置き換えたものである。
気づいているだろう。コンビニのレジや中華料理屋の厨房には、闇の列車が走り、光の旅が続いているのだ。
想像力は、物語のテンションをさらに拡散させる。
さらに不法移民の問題を、ここ数年何度映画で観たことだろう。
ケン・ローチの「この自由な世界で」、コートニー・ハントの「フローズン・リバー」、そしてドキュメンタリー「泣きながら生きて」。
グローバリズムの提示する「自由」と、それと矛盾するかのように立ちはだかる国家と国境の残酷の物語。

メキシコのギャングという悪魔に出会い、過酷な移民の旅を純粋無垢な思いで幸福にたどりついた主人公には、苛烈な太陽の光が降りそそいでいる。この太陽は肯定のメッセージなのか、自分にはそのように思えてならない。
それならば、日本はどうなのか。そういう風に考えてみたい映画である。
秀作。
なお、原題は”Sin Nombre”(名もなき人びと)。この邦題のセンスもよい。

FWF評価:☆☆☆★★

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