ジャン=ピエール・ジュネのロンド(輪舞曲)は続く /「ミックマック」

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◇「ミックマック」公式サイト
ジャン=ピエール・ジュネの「アメリ」が、コメディに新しい文法とスタイルを確立したのは間違いない。
きらびやかで独特な美術と、それと反して退色させたような独自の色合い。それが、おとぎ話のムードのような非現実感を醸し出す。
カメラはゆっくりと時に急速に被写体のまわりを独自のリズム感で浮遊する。時にはいたずらっぽく、時にはそそっかしく。
まるで、煌びやかな舞踏会で優雅にロンド(輪舞曲)で踊っているかのような感覚に、観客は魅了される。
このスタイルは多くのフォロワーが続いた。
身近なところであれば、中島哲也の「下妻物語」。最近でちょっと変わり種のところだと、チャン・ツィイーのラブコメ「ソフィーの復讐」。
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おもちゃ箱のようでおしゃれな美術に囲まれて、女のコが奔放に自分を表現していく姿は、それだけで楽しい。そして、それらはそれなりに面白いものが多い。
そして、「ロング・エンゲージメント」以来の本家の登場が、この「ミックマック」。
今回はラブコメ仕立ての女のコが主役ではなく、何らかのかたちで必ずジュネの作品には出てきている弱者・・・ともすればフリークスのような男。
アメリの主人公が恋するのが、いかがわしいアダルトビデオ店でバイトするヘンな趣味をもつ男だったように、ジュネが差し向ける視線はいつもこのような変わり者の弱者に注がれている。
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弱者であるものたちの奇妙な共同体。・・・だが、これはようするに浮浪者に近いもののが集まって暮らしている廃品置き場のねぐらであるわけだが、そこから始まる弱いものから、強いものへの復讐のおかしな復讐のお話というところがおおよそのあらすじ。
ジュネはよっぽどサッカーが好きらしく、今回もフランス代表のユニやシルヴェストルという代表選手が地雷で爆破されたりなど、ちょっとした小ネタに使われていたりする。
サッカーはもともと貧乏人のスポーツだ。お金もちや育ちがいいものはヨーロッパでは敬遠する類のカルチャーである。
そういう下から上をみる視線はあいかわらずのジュネスタイル。
親を地雷で亡くして、自分は銃弾を頭に埋め込まれて、いつ死ぬかわからない。
考えてみれば、これはとても悲しい話なのだ。アメリが実は人とコミュニケーションをとるのが苦手な変わり者の女のコの孤独からの脱出がテーマだったように。
唯一、物語構造をうまくまとめてくれていた登場人物のナレーションが今回はない。
また主人公が、例え秀逸な演技のコメディアンだったとしても、やや色気がかけるところは問題となる。最後にとってつけたように恋愛成就が持ち出されるのも不満な人もいるだろう。
そういう意味で、アメリ以後のフォロワーがアメリ・スタイルに付け加えた、新しいアイディアや女優の面白さで勝負した作品群と比較すると、どうなんだろうかとも思わざるをえないところも確かにある。時代だろうか。

そんなわけで、不満は残る作品ではある。
けれどもOK。
ジャン=ピエール・ジュネの「アメリ」を観て、楽しいひとときを過ごした人なら楽しめるだろうし、そうでない人もデートで観るならぴったりというところの映画になると思う。
FWF評価:☆☆☆★★

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