若尾文子のしもぶくれの顔の輪郭は幼児性を表す。
しかして、際立ちすぎた妖艶な目鼻立ちは、同時に何か私たちの常識から離れたものを感じさせる。
そして与えられた役どころは、天然悪女。悪気もへったくれもなく、女の論理がモーターのように音を立てて旋回しているのに、幼児性と魔性が肉感的に押し出してきて、それに誰も抗することが出来ない。
それに目をつけた監督は増村保造ばかりではない。だが、もっともそれを的確に物語の中心に据えて映画にしたのは、やはり増村である。
増村=若尾の作品群にて、日本のファム・ファタール(運命の女)のひとつの類型が見事に出来あがっている。
本作「妻は告白する」は、その中でも一大傑作。1961年大映作品。
なんともはや完璧な作品である。
雪山での遭難の中で、夫のロープを切って助かった妻(若尾文子)の「緊急避難」をめぐる裁判から始まるストーリー。
夫に対する憎悪と、取引先の若いサラリーマンである川口浩に対する愛が浮き彫りになってくる前半と、悲劇に落ちていく若尾文子の壮絶な美しさが描かれていく。
特筆すべきは、雨にずぶぬれになりながら川口の会社にストーカー然として現れる若尾の驚くべき美麗さ。これがこの映画を決定的なものにしている。
「緊急避難」が適用できるか否かを扱った筋立てに、最後の女の結末まで、全く隙のない展開も特筆。
新文芸座「日本映画のヒロイン(7) 若尾文子 鮮烈と可憐~第二章~」にて。
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